「山鶴」訪問記

平成24年4月23日、奈良県生駒市。大阪・難波からは、電車とバスを乗り継いで、ちょうど一時間位の位置関係。この日の生駒山麓は、からっとして暖かい、春の陽射しと、山間に吹く涼しい風が相まって、蔵見学日和というにふさわしい、素晴らしいお天気でした。

「山鶴」といえば、当店のお客様の間でも、その実直でキレの良い酒質を、すぐに思い浮かべる事のできる、すでにおなじみの銘柄。私どもの酒屋にとっても、二十数年来、密接にお付き合いさせていただいてる、大切なお蔵さんのひとつであります。そんな「山鶴」さんと山中との、協力関係に関するエピソードも交えながら、今回の蔵見学を、レポートしていきたいと思います。

午前10時。当方の参加者は、飲食部門のメンバー全員、アルバイトも含めて、総勢14名。ご案内いただいたのは、「山鶴」醸造元、中本酒造店、十二代目蔵元・中本彰彦社長と、社長曰く「(事務方は)全部任せている」という、奥様。造りは終わっていましたが、蔵の中をひととおり、見学させていただきました。

仕込み蔵に入る前に、まずは「吟醸山鶴ができるまで」というビデオで、酒造りの工程を復習します。

ところで、このビデオを見ていたお座敷に、案内していただいた際に、最初に目についたのが、「一白 二蔵 三杜氏」と書かれた、掛け軸です。実はこれが、こちらの蔵のモットーで、その意味は、第一に、良いお米を白く磨くこと、第二に、良い蔵、良い設備を持つこと、第三に、良い杜氏、良い蔵人を持つこと、ということです。

この言葉をふまえて、以降の文章を読んでいただければ、私たちのこの日の蔵見学同様、より理解しやすいのではないかと思います。

一行は、仕込み蔵に移動します。時代がかった風情のある、先ほどの母屋とは対照的な、この近代的な仕込み蔵は、昭和62年、篠田次郎氏の設計で建てられた、吟醸仕込み専用蔵です。その完成以来、いわゆる普通酒とは決別し、高品位な特定名称酒だけを、少量ずつ、丁寧に仕込むという、方針に転換して、「山鶴」が誕生します。

実際に見た印象としても、蔵の中は、ゴタゴタしたところがなく、整然と、コンパクトにまとまっている感じでした。ここから出荷されるお酒の平均精米歩合も、51%と、全国平均の67.1%に比較して、かなり低くなっています。全国的に精米歩合は、年々、より白く磨かれる傾向にあり、年間消費量の推移を見ても、普通酒・アル添酒は下がり続ける一方、純米酒・純米吟醸酒は、プラスに転じています。つまり、いま日本酒はおいしいお酒だけが売れる、という状況があるわけで、「山鶴」が25年前に踏み切った、吟醸造りの路線は、大いに正しかったと言えます。

ちなみに、中本酒造店様は、平成17年より、全量純米蔵に移行しています。

麹室でのお話から: 麹造りにおいては、「突きはぜ」という、お米の外側ではなく中心部分に麹菌が入り込んでいる状態を造る。そうしないと、低温で発酵させる吟醸造り(概ね12℃以下)に耐えうる醪にならず、途中で発酵が止まってしまう。完全発酵によって、「段違い辛口」のような、辛口の酒ができる。「一麹、二酛、三造り」の言葉にあるように、杜氏・蔵人にとって、その技術の最も問われる部分が、この麹造りおよび原料処理である。

槽掛けでのお話から: お酒を搾る段階で気をつけたいのは、時間をかけて丁寧に搾るにしても、そのせいで、お酒にカビ臭やゴム臭が付いては、本末転倒だということ。活性炭を使って濾過すれば、これらの臭いは簡単に取れるが、同時にお酒本来の香りも取ってしまう。だから山鶴ではほとんど使っていない。搾りの工程を清潔かつスムーズにクリアするために、「ヤエガキ式吟醸搾り機」を使っている。

この後、先ほどのお座敷に戻って、さらに社長からお話を伺いながら、お酒を試飲させていただきました。贅沢にも、お寿司をいただきながらの試飲会です。お酒と料理には遠慮のない顔ぶれ、プラス、もとより食中シーンが得意な山鶴ですので、次々とグラスが空いてしまい、予定になかったお酒まで出していただきました。

試飲したお酒(カッコ内は日本酒度)

  • 大吟醸35%(+5)
  • 純米吟醸50%(+7)
  • 純米吟醸55%(+5)
  • 特別純米60%(+6)

大吟醸の方は、やはり透明度が他のお酒より一段階違っていて、香りは派手すぎず穏やかで、ほのかに甘い印象でした。50%精米も、ほのかに甘いバランスで、雑味のないクリアなお酒。55%精米は、少しフルーティーに感じられる、優しい味わいがあって、後口もすっきりでした。特別純米の方は、今回のメンバーの中では一番人気が高かったようですが、比較的コクのある、落ち着いた純米酒らしい味わいに、お寿司の好アシストが加わっての、一番投票になったのではないかと、推測しています。

このあと、山中酒の店のプライベートブランドである、「出鬼心」のしずくや、「段違い辛口」なども利き酒させていただきました。そのなかで、中本社長から、昔のことをいろいろとお話しいただきました。

約20年前、今の仕込み蔵が完成して間もないころ、売れるかどうかもわからない、山田錦40%精米のお酒を、とにかく造った。そのお酒を見に来た、山中の社長に、「販売させてほしい」と言われたときは、蔵人一同、涙が出るほどうれしかった。そうして、本当にたくさん売ってくれた——。

なお、この時は、山中だけでなく、大阪の酒屋グループ数名で、蔵元を訪問しており、このグループ全体で、「山鶴」を売っていったわけですが、その後の、いろいろな時代の流れ、紆余曲折を経て、今も変わらない関係を続けているのが、当店だけになってしまった、という経緯があります。

それから、「出鬼心」の話。これも今から20年ほど前のこと、南船場の「さかなのさけ」(現在は六本木)で、当時北新地で「ワイルドターキー」というバーを経営していた「つばき」さんと、当店の社長が出会い、そこにいろいろな業界の人々がつながっていって、「出鬼心」が生まれました。命名は、つばきさんで、ラベルのイラストは、西口司郎氏が手がけ、完成したお酒の発表会を、当時の「さかふね」で行いました。飲み手も、造り手も、売り手も、一体になって、わいわいとやって、ひとつのものを創った、その最初の例でした。この「山鶴 出鬼心 純米大吟醸」は、現在も通年商品として、山中酒の店で販売しております。

当時の写真はこちら... アルバム「山鶴1982」

余談ですが、当店の倉庫の奥には、その当時の「出鬼心」、20年モノ相当が、まだ眠っているそうです。いつの日か、これらの思い出の酒が、お披露目される時が来るでしょうか・・・。

ところで、中本社長が、酒造りで、一番重要と考えることは、なんでしょうか。曰く、「私が一番に考えるのは、いかにして、飲んでもらうか、ということ。どんなにおいしいお酒を造っても、飲んでもらえなければ意味がない。自己満足で終わってはいけない。おいしいが、高くて買う気になれないお酒では、いけない。すべてを、うまくやらなければいけない。」

しみじみと、そう言われた背景には、確かに、これまで料飲店の方々やお客さんたちと、直に交わってきた経験、それら消費者との関係の中で培われた、現場感覚のようなものが、あるように思いました。

最後に、もうひとつ、新しいお酒を試飲させていただきました。それが、「蔵人の詩」です。このお酒は、当蔵の若い蔵人たちが、「自分たちのお酒を自由に造らせてほしい」と願い出て、タンク一本分仕込むことを許された、今までになかったお酒です。試飲する私たちのところにも、今度新しく就任した森杜氏の息子さんが、蔵人として、またおそらく、この日お休みされていた父上の代わりとして、ご挨拶に見えられました。若く、朗らかな笑顔の、青年でした。こういった新しい流れを、この目ではっきりと見ることができたのも、今回の大きな収穫のひとつだったと思います。

そんなわけで、私たちにとって、本当に勉強になった、今回の蔵見学でした。

最後になりましたが、中本酒造店様、お忙しいところを快く迎え入れてくださり、ありがとうございました。これに懲りず、今後とも、よろしくお願いいたします。

そしてみなさま、是非、「山鶴」のお酒を飲んでみてください!きっと、心を通わせられるなにかを、感じていただけるのではないでしょうか。

2012.4.25 公開
2012.4.26 修正
2012.5.7 アルバムへのリンクを追加